夕食後、アントニオメイシオ空港(サンチャゴ)より飛び立って、ハバナのホセマルティ空港に向かった。
(第5日目)
早朝ホテルを出発して、ハバナから東へ約280q(約4時間)にあるキューバ中部の都市サンタ・クララ市(人口20万)へ向かった。サンタ・クララ葉別名ゲバラ・シティと呼ばれるほど、ゲバラとはゆかりの深い都市である。
最初に、チェ・ゲバラ霊廟(Monumento Emesto Che Guevara)を見学した。この霊廟は没後20年を記念して、1987年にゲバラの銅像(6mを越す)と、同じく戦闘で亡くなった38人の慰霊を込めて建てられた。確かにゲバラの功績はキューバにとって大きいが、何故カストロを群像として崇め、巨大な銅像を建てないのか、不思議に思ったが、後になってそのわけが分かった。
(詳しくは、後の号で記載することにする)
ゲバラの銅像の台座にはHasta la Victoria Siempre(常に勝利に向かって)と書かれ、更に銅像横の石のプレートにはゲバラがフィデル・カストロに充てた別れの手紙が刻まれていた。また霊廟の裏側にはゲバラに関する資料館と納骨堂があり、資料館にはチェの幼少期から青年期までの写真、キューバ革命当時の武器とボリビアでの日記や当時の日常品及び使用品が展示されていた。納骨堂には石の壁があり、その中に棺が納められていた。また顔のレリーフがそれぞれの犠牲になった革命兵士の遺骨と一緒に名前が刻まれていた。国を変えるということは多くの犠牲と勇気が必要なのだなあとこの霊廟を見学して感じられた。残念ながら館内は写真及びビデオは禁止され撮影できなかった。
霊廟から車で僅かなところにゲバラ率いる革命軍がバディスタ政府軍の装甲列車を襲撃した場所があり、行ってみた。線路が外され、約400人の兵士と武器や弾薬を積んだ装甲車を脱線させたもので、この出来事がサンタ・クララの戦いのクライマックスだったといわれ、バディスタ政権打倒のきっかけになったようだ。この時の状況は映画『チェ28歳の革命』の中で描かれている。私もキューバを訪れる前に2度この映画を観てきていて克明に覚えていたので、凄く興味を持っていた。ただし、我々が訪れた時は、残念ながら装甲車の内部は見られなかった。次に、この場所から車で5分位の場所に共産党サンタ・クララ支部があり、玄関の階段を上がる手前に子連れの狼風のゲバラ像があるで見に行った。